無題

私は一昨年、バンド活動をお金にしていくのが自分では不可能だと
感じて、バンド活動を諦めることにした。その後は少し悩んだけれど、
昔から仲の良い友人がプログラミングを勉強していて、単純に興味を
持ったことからプログラミングを仕事にすることを決めた。
興味が全くないことでは仕事にするのは難しいと判断したからだ。
その後はコンビニのアルバイトを夜勤から昼勤にシフトチェンジし、
職業訓練校に通いプログラミングを学んだ。職業訓練校で学んでいる
間の時間は本当に充実していて、起きている間は常に勉強していた。
訓練校の先生も変わった人で、確かな経歴の持ち主だったが教え方が
あまり上手くなく、生徒が全くついていけない授業を一人でにやつきながら
やり続けるような先生だった。僕はその先生の自分勝手な授業が好きで、
意味不明だとは思いながらも毎日必死に聞いていた。
職業訓練校に通っている最中は友達と遊んだ記憶もない。「これは試練の
期間なんだ」と自分に思い込ませ、毎日を過ごしていた。
そのまま半月が過ぎ、僕は国家資格を取得し、就職していた。
今の会社では、最初の頃は完全に教育放棄され、タイムカードを押しては
ぼーっと座り、時間が過ぎるのを待っているだけだった。
私の先輩が辞めるという話になり、事態は変わってきた。
無論、空いた穴を埋めるのは何も仕事がなく、のうのうと過ごしてきた私だ。
私は必死にその人の仕事の引き継ぎをし、何とか3ヶ月ほどやりきった。
そのあとに、もう一人先輩が辞めるという話になった。最初の先輩が辞めて
しまうというときは凄く悲しかったけど、2人目が辞めてしまうときは全然
悲しくなかった。悲しくなかったし、迷惑だとも思わなかった。
ただ、その人は大変疲れているように感じた。だから仕方ないと思った。
その人は間もなくして会社を辞め、結局引き継ぎは大体僕のところにいった。
僕の仕事は最初の頃と比べると5,6倍に膨れ上がっていた。(まあ最初の頃なんて
0に近かったから幾つ数字をかけても0だろ、っていうのはなしで)
それでも意外とこなせてしまうもので、何も分からないながらもなんとなく毎日
こなしていた。
今度は社長が別のプロジェクトを立ち上げるからそれに割かれる人員の分の仕事を
君にやってほしい、と言われた。もう明らかに無理だった。明らかに無理だと思いつつ、
会議で適度に反抗してみたが、そんなものが通るはずもなく、結局その仕事も僕に押し付けられた。
仕方ない、と言い聞かせ、その日の夜は押し付けられた仕事を整理して帰った。
その次の日の夜、僕は高熱で倒れた。インフルエンザだった。
そして今、僕は一週間会社を休んでいる。無駄に有給休暇を消費してしまった。
毎日何もすることがなく、本を読み、テレビを観て、ネットを見て終わる。
きっと本当に無職の人達も、この虚無感と戦いながら生きているんだろう。
本当はやるべきことなんて山ほどある。例えば英語の勉強をするとか、
プログラミングの勉強をするとか、色々。だけど何もやる気にならない。
今更、やる気を出すのがかっこ悪いとか、かっこいいとか、そんな気持ちすら湧いてこない。
なんとなく、虚無だ。きっとこういう堕落した思考自体が害悪だし、最悪なことなんだろう。
明日はちゃんと生きよう。いや、今からちゃんと生きよう。なんて、思ったりする。

無題

貴方はヘッドフォンをしながら
CASIOって書いてある鍵盤を叩いて
そのまま寝てしまったんだ
縞々のワンピースが揺れていた

涼しい日だった 空は晴れ渡っていて
あなたの頬に乗る陽の光が眩しい
このまま海に行ってもいいし
紅葉を眺めてもいいかもなんて

ずっと一緒にいれたらいいなって
僕と手を繋いで顔を近付けて
本当のことなんか何一つ知らないまま
甘いパンを頬張ってただ笑っている

無題

完璧な日なんて滅多にない。
大好きな人達を集めて企画した飲み会も、大好きなあの人の予定が合わなかったり、大好きなあの子の機嫌を損ねてしまったりする。それでも設定したその日を完璧にするために、飲み会が開始すれば、欠員のあの人やドス黒い感情は脳の隅に押しやられることになる。
その場にいる人に、自分を含め罪なんて存在しない。そこにあるのは今その瞬間を楽しむというそれだけであり、それ以外の概念が介在していい理由などない。だから時間がある限り酒を頼み、グラスを叩きつけ、喋る。そうするとその場に居る人間は皆笑顔になる。その時間は間違いなく幸せなはずだ。
家に帰ると、圧倒的な虚無感に襲われる。あんなに楽しかったのに、あんなに楽しかった時間はもう目の前にない。僕のくだらない話を聞いて笑ってくれる仲間も、なんとなく時間を濁してくれる酒も煙草も存在しない。余りに憂鬱なのでパンツも脱いで布団に入り込んで、さっさとオナニーして寝る。それが一番いい。
ふと、眠りにつく前に、今日これなかった人と、いつか傷つけてしまったあの子を思い出した。彼らは、寝る前に僕のような孤独を感じているのだろうか。人は皆孤独なんだろうか。例えば孤独だとしたら、電話でもして慰め、慰められ、ということが出来るのだろうか。
「〜だろうか」と浮かぶことは大抵実践しないまま終わる。それはきっと何処かで、妄想のままでいい、とある種の諦観のような枠に収まった思考だからと思う。夢は夢でもいい。
瞼を開けると8時半を越えていた。

シルエット

アナログシンセサイザーの音に乗せて
ガーターベルト メロディが声になる
死んだ風景を眺めたまま僕は同じ
緑色の湿地帯を長靴で進んでいる

灰色の動物の死骸をひっくり返して
ひっくり返しては元に戻して
死んだ鼠の死体を投げて遊んだ
不謹慎とかそういうのは無しにして

教会にある鍵盤は全てバラバラになって
南風に乗って貴方の結婚を祝った
誰もそのことを知らないまま
夕焼けは大切なシルエットを燃やした

無題

思い出だけじゃ食っていけない
幸せは対症療法でしかない
一握りの永遠だけ欲しかった
それは叶わぬ夢だった

いつまでも子供のままでいたい
公園の砂場から月に還りたい
最低な思い出は早めに捨てたい
今日は帰ってシチューが食べたい

さよならはいらない
お別れは痛すぎる
なのに何度も訪れて
僕の首を絞め続ける

さよならはいらない
思い出はいらない
友達も恋人も
いつか別れてしまうなら
いらない